三つの自己(バーンの説)

 ところで、子どもは三歳にもなると自分のことを自分でやるだけでなく、お手伝いをしたがるようになります。そのとき、子どもの心の中には、お母さんのようになりたい、お父さんのようになりたいという気持ちがあるのです。子どもは子どもであると共に、親のようでもありたいのです。バーンという学者は「人間は誰でも三つの自己を持っている」と言います。皆さんもそうですよ。 皆さんもやっぱり甘えたいという子どもの性質があるのです。ございますでしょう。甘えたい、子どもと同じように遊びたいという性質があるのです。それから世話をしたいという親の性質もあるのです。それから、もう一つは、世の中というものは、こういうものなのだなぁという理性的に考える性質もあるのです。人間は親の性質、子どもの性質、広く客観的に考える理性的性質と、三つの性質を持っているのです。それは子どもも同じです。子どもは親の性質を持っている証拠に、子どもがおままごとしているときに「いい子になってね」とお人形を相手にお母さんぶりを発揮していますね。そして、「ちょっと待っててね、今ミルクを作ってあげるから」なんて言っていますね。こういう親の面を育てることも大切なのですよ。子どものときから親の性質を育てられた子は、母親になったとき立派な母親ぶりを発揮し、父親ぶりを発揮します。

 

 私はお母さん方にこう勧めているのです。三歳くらいのとき、下に弟か妹の赤ちゃんが生まれたとします。生まれたとたんに赤ちゃん返りをする子がいますね。こういう子は、子どもっぽさ、赤ちゃんぶりを出しているのだから、一応それを認めてあげる。「あんただめね、もうお姉ちゃんじゃないの」「もうお兄ちゃんじゃないの、だめね」この「だめね」がいけないのです。お母さんと 一緒に赤ちゃんのおむつを替えてあげよ、と、お姉ちゃん、お兄ちゃんとして赤ちゃんのおむつを 替えるということができたら、子どもに親の面を育てることになる。子どもに親心を育てるのです。それから、何かそのことを考えようね、というふうにすると、客観的に物を見る、考えるという面を育てることになるのです。

 

 お母さんも、子どもといるとき、子どもの心を出すことが必要ですね。いつも親として子どもを見下ろしているようじゃいけないですね。

 

 私は、親も、園の先生も童心が必要だと思います。遊ぼうよ、遊ぼうよ、とはずんだ声で子どもに話しかける。お母さんも「やってやるか!」と、ときには少し乱暴ともいえるような言葉であってもいいと思います。お母さんの童心に子どもの心が共鳴し、子どもたちが明るくいろんなことに挑戦していく。そういう性質を一から三歳までに育ててほしいと思います。ちょうどその能力がでてきたときに、その能力を育てる。 そして、やればやれるのだという心を、チャンスを逃さないで育てていくんですね。ところが反対に過保護で、やれるのにやらせなかったり、口やかましく期待過剰でだめにしたりしています。子どもの発達に合ったやり方でやっていけば、子どもはどんどん伸びるのに、それをやらないでいる。過保護、ときには期待過剰で口やかまし過ぎたり、親の そのときのいらした気持ちを子供にぶっつけたりしているのは、お母さん自身が子どもっぽさをしていることなのですね。こういうマイナスの子どもっぽさを出しては困るのです。だがプラスの子どもっぽさは、出すときに大いに出された方がいい。子どもと同じ心で「走ろう!」というふうに明るく呼びかけることや、考えなければならないときに一緒によく考えることが大切ですね。